子どもの死は他人事ではなく、いつも身近にあると思って生きるべきだと思う

0717子どもの死
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「もしもあなたのお子さんが明日、突然亡くなったらどうします?」

こんなことを聞かれたら、あなたはどんな風に感じますか?

「縁起でもないこと言うな。」と怒るでしょうか。あるいは、「そんなことありえないから、考えたことない。」と答えるでしょうか。

「自分の子どもが死ぬ」これほど悲しくて辛いことはないと思います。僕には経験がありません。だから我が子を亡くした親の気持ちは、知りようがありません。

だけど、『死』は誰にでも確実に起こり得ることですよね。あなたにも、僕にも、子どもにだって。だから「我が子の死」だって、一度ぐらいは真剣に考えた方がいいんじゃないか?ふとそう思ったわけです。

僕の高校時代の担任が、昔、葬儀屋のアルバイトをしていたことがあるそうです。その先生が昔、こんなことを言っていました。

「葬儀屋にとって一番辛いのは、小さい棺を運ぶこと」だと。

小さな棺を見れば、それが『子どもの死』であることはすぐにわかるらしいです。いつも、横には辛そうにしているご両親の姿があって、感情を抑えるのに必死だったと。平均寿命が80年を超えて長寿を誇る日本でも、悲しい事件や事故、病気で早くに命を落とす子は毎年います。

人は二度死ぬ

有名な言葉に「人は二度死ぬ」という言葉があります。

一度目は、肉体の死。二度目は、人から忘れられた時。

例え幼い頃に命を落としても、彼・彼女のことを忘れない人たちがいる限り、人の魂は生き続けている。そんな意味の言葉です。

「だから子どもが死んでも気にするなよ」なんて言うつもりは毛頭ありません。だけど、二度目の死について考えると、少し『死』についての考え方が変わってきます。

実際、僕は子どもの死など考えたこともない

今、うちには2歳の長女と1歳の次女がいます。

毎日めざましい勢いで成長を続ける子どもたち。正直、「自分の子どもが死ぬ」なんてことは考えたことがありませんでした。当たり前の認識として、『親である僕たちが先に死ぬもの』と思って生きてきましたから。

ですが、人間の寿命は当たり前ですが、人それぞれ。100歳超えてもなお生き続ける人もいれば、0歳で死ぬ人がいるのも事実。事実、です。

データで見る子どもの死亡率

不慮の事故による子供の年齢・原因別の死亡率(平成25年)

平成25年時点、不慮の事故により亡くなる子どもは、0歳~9歳で年間200人強。つまり、2日に1人のペースで命が失われているのです。(これは不慮の事故に限った話なので、事件や病気、虐待などを含めるとさらに増えます。)

参考:消費者庁『子どもを事故から守る!プロジェクト』

http://www.caa.go.jp/kodomo/project/pdf/130509_project.pdf

厚生労働省「平成25年人口動態統計」

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai13/

『不慮の事故』と聞くと仰々しく聞こえるかもしれませんが、そのほとんどは『ちょっとした油断』であるとも聞きます。

  • ちょっと目を離したすきに
  • 普段は気を付けているのに一瞬気を抜いた瞬間に。

・・・などなど、いつ、誰に起きてもおかしくない状況であると言えるでしょう。

決して他人事と思ってはいけない子どもの死

子どもの死というのは、決して他人事ではありません。いくら元気に育っているからと言っても、窒息、誤飲、転落、その他の危険は常に身近に潜んでいるのですから。

どれだけ気を付けても過剰ではない、というのが育児の常です。これらは、決して他人事ではありません。「自分には関係ないから大丈夫」本当にそう言い切れますか?

  • 一瞬目を離した隙にベッドから転落しかけた。
  • 机に置き忘れていた薬を誤飲しそうになった。
  • 昼寝中、布団が絡まって窒息するところだった。

こんな紙一重の経験なら、誰にでもあることではないでしょうか?もしその発見があと1秒遅れていたら、命に関わる事故になっていたかもしれない。不慮の事故は、決して他人事ではないのです。気を付けなければなりません。

なぜ日本人は『死』の話をタブーとするのか?

仮に身近に子どもを亡くした人がいても、僕はなんと言葉をかけていいのかわかりません。

ただ、1つだけ僕は世の中に対して違和感を感じることがあります。それは、『日本では死の話がタブーとなっている』こと。

なぜ、日本において死の話はこうもタブーとされているのでしょうか?

友人やご近所さんとの会話の中で「もしもうちの子が死んだら・・・」なんて言おうもんなら、すぐさま「縁起でもないこと言わんとって!」と遮られます。「もしもあなたの子が死んだら?」なんて言おうもんなら、二度と口を利いてくれなくなるかもしれません。

でも、未来のこと、自分や子どもの死のことを話すことの何が悪いのでしょうか?

『考えたくないから』と言って、いつまでも考えなければ、現実に死と直面した時、その衝撃ははかり知れません。具体的にシミュレーションしておく方が、仮に危険が迫った時にも素早い対応が可能なはず。

手塚治虫のマンガ『ブラックジャック』では、医師のブラックジャックはこう言っています。

「余命がわかる患者には、はっきりと余命を伝えるようにしている。その方が残りの人生を有意義に過ごせるからな」

と。

僕が今回言いたいことは『余命』の話ではありませんが、このブラックジャックの言葉にも共通する部分はあります。大事なことは

  • 未来のことから目を背けないこと。
  • 今、考えることから逃げないこと。

縁起だなんだと言い訳するのはやめにして、自分と子どもの死のことをじっくり考えてみませんか?

最後に

親として、自分の死のことを考えることはとても大事だし、同じように子どもの死のことを考えることも大事。

  • 考えたくない。
  • 縁起でもない。

こうやって思考から逃げるのはおかしいと思う。と、僕は個人的に思っています。

「明日死んでも後悔しない人生を」

そのためにはどう生きればいいか?

  • 1分1秒がどれほど大事で、愛おしく思えるか?
  • 本当に今しかない子どもとの時間をどのように使うか?
  • 「嫌われたくないから」という理由だけで、好きでもない人間との付き合いを続けるか?

これからの人生をどう生きるか?子育てというのは、それを考えるキッカケをくれるものだったりするんですね。


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