筆者のプロフィール

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筆者のプロフィール

はじめまして、おっくんと申します。この度はお越しいただきありがとうございます。

僕がこのブログを書くようになったきっかけや、ブログを書く理由などをを、僕の人生を振り返りながらお伝えしていきます。

「仕事も大事だけど、家族を大事にして後悔ない人生を送ろうぜ」的なことをお伝えできればと思っています。

簡単な自己紹介

【名前】おっくん

【年齢】1989年生まれ。28歳

【出身】大阪市の南側。もと近鉄電車ヘビーユーザー。

【居住】飛ばされ飛ばされ、大阪⇒東京⇒北京⇒東京⇒上海⇒東京⇒大阪(現在)

【性格】脳みそ筋肉タイプ。考えるよりまず体当たり。でも争いは好きじゃない。

【職歴】新卒採用担当を2年⇒上海駐在1年⇒経営企画室⇒人事(現在)

【趣味】

  1. 剣道…5段取得目指して頑張ってます。
  2. バイク…一番の想い出は嫁と結婚する前に行った四国一周旅行。
  3. 子どもと遊ぶ…2人の娘たちの良いオモチャです。

【目標】後悔なく、笑って死ぬこと。

【映画】レナードの朝

【お笑い】かまいたち。

生い立ち

誕生~小学校入学

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小さい頃は兄のおもちゃでした。2歳離れた兄がいるのですが、超悪ガキ。

デカい段ボールに閉じ込められたり、鼻に割りばしツッコまれてグリグリされたり…

でも、そんな兄を慕っていつも後ろにくっついている僕。そんな兄弟でした。

小学校入学

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気付けば学年一のデブに笑。(しかし色白いなぁ~。)

小学校に入ったあたりから体重がぐんぐん増加し、6年生の時点で70キロを超えていました。

原因はおじいちゃんに死ぬほど甘やかされたこと。物心ついた頃、父はメーカーで激務をこなし、母は週に2~3回のパート。

誰もいない家にいるのが嫌で、よく隣に住んでたじいちゃんの家に遊びに行ってたんですね。

じいちゃんはよく遊びにくる孫がかわいくて仕方なかった様子で、遊びに行くたびに、僕にお菓子を与えてくれました。

おかげさまで学年一のデブに(;´・ω・)

  • 気を付けの姿勢で自分のちんちんが見えない
  • 体重測定の度に上がるクラスメイトの歓声と悲鳴
  • あだ名は「ぶーちゃん」
  • 体育座りがキツイ
  • 組体操は言うまでもなく最下段
  • トイレに入ると便座がきしむ
  • 地域の相撲大会には先生が勝手にノミネート

とにかく、おデブでした。 

剣道に出会った中学時代

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中学時代は何の変哲もないものでした。剣道を除いて

入学当初、部活を決めかねていた僕。

「どうせなら今まで一度もやったことないスポーツに挑戦しよう!」

と意気込み、早速入部届を持って友達を誘い、剣道部へ。

 

そこで待ち受けていたのは衝撃の映像でした。まず、顧問らしきおじさんの前に立たされている2年生3人。どうやらお説教されている様子。

それを横で見守る4人の3年生と、僕たち新入部員17人。。。

突然その顧問が怒鳴りました。

「二度と俺の前に姿を現すなボケがぁ!!!」

???

何かヤバい。

何かヤバすぎる部に突撃してしまった気がする。。。その後、そこで怒られていた2年生の人たちは本当に二度と姿を現しませんでした。

あとで3年生の先輩に聞くと、どうやら無断で何日か休んでいたそうな。まぁ、怒られるのは当たり前だけど、何もそこまで言わんでも…という印象。

しかし、

こんなことで後ろに引けるかコンチクショー!

という謎のドM精神&使命感から入部を決意。翌日から早速地獄のような日々が始まりました。

  • 10キロラン
  • 素振り2,000本
  • 動けなくなるまで足さばき
  • うさぎ跳び素振り200本
  • 途中で倒れても水をかけられる
  • プラス顧問からの殴る・蹴る・罵倒・無視…
  • 練習中に水を飲むと怒られるので、トイレで隠れて水を飲む。

これを毎日。入部当初17人いた同級生は、最初の夏休みまでに5人になっていました。(ここで15キロ落ちてガリガリになりました)

 

今思い出しただけでも背中が寒くなる…。顧問の顔を見るたびに血の気が引いていく毎日。

でも、得たものもたくさんある。まずは強靭な体力と精神力。そして、何よりあの地獄を共に経験した仲間たち。

あの3年間を共にしたチームメイトとは、いまだに本気の友人です。

今の僕の根幹を作ってくれたのは、あの時の鬼顧問と剣道。そして当時の仲間だったと言っても過言ではありません。それぐらい、中学3年間の剣道は濃い~~ものでした。

無気力な高校生活

IMG_1786そんな地獄の日々も終わり、僕も高校生に。みんなみたいに彼女作って、授業サボって、適度に勉強して適度に遊ぶ。

そんな楽しい高校生活を夢見ていました。

 

しかし、挫折。

 

挫折というと大げさですが、何一つ楽しくなかったんですね。何より、クラスメイトと話が合わない。

みんな、笑顔作って無理やり輪の中にいようとしているみたいな。僕自身が歪んでいたのか、クラスの人間がみんなそう見えました。

しまいには、作り笑いで愛想を振りまくのに疲れてしまい、結構ネクラな3年間を過ごしましたね。

  • 体育祭で応援合戦のために1ヶ月も2ヶ月も練習する奴ら
  • コーラスコンクールで優勝できずに男泣きする奴ら
  • 「俺らってワルだよな」って真顔で盛り上がってる奴ら

奴らを見て、僕は「全員、演技じゃねぇーの?」って思ってました。マジで。

でも、そんな無気力でスネた中二病みたいな僕にも唯一時間を忘れて打ち込めるものがありました。

それが、ギター。

ある日の部活終わり、ふとどこかのクラスをのぞいてみると、そこで2人の男の子がギターを弾いていました。その実力は1年や2年練習したものとは思えない、素人の僕から見たら感動に値するものだったような気がする。

「楽器1つであんなに色んな音が出せるのか!」

彼らが弾いていたのは押尾コータローさんの曲。ご存知の人ならわかると思います。

押尾さんの曲はただ単に弦をかき鳴らすだけではなく、ボディを叩いてパーカッションをつけたり、爪を巧みに弾いて笛のような高音を出したりするんですね。

これに感動した僕は、早速ギターを買いに天王寺へ。初心者セット7,800円を貯めたお小遣いで即購入。

それ以来、僕はヒマさえあればギターを触るように。好きな曲を好きな時に自分流で楽しく奏でられる趣味。

  • 変なメロディーを口ずさんでみたり。
  • 尾崎にハマって叫んでみたり。
  • 受験勉強中の兄に本気で怒られたり。

高校生活の想い出のほとんどはギターかもしれません。

と言ってもバンドくんだり人前で歌ったりするものではなく、ただひたすら家で弾くだけのオタク系でしたね。

あ、あと一応剣道部には属していました。

でも中学で燃え尽きたというか、あまり練習したくなかったのでそれほど打ち込んでいません。ただ、なんとなく3年間在籍していたような感じ。

大学入学。また剣道の道へ

IMG_1823引き続き無気力だった僕は、部活もサークルも何も決めず、ぼんやり迎えた初日。

「非通知」から着信がありました。しかも連続で3回も。

最後の3回目で留守番通知が入っていたので、おそるおそる聞いてみると、なんか懐かしい声でした。

 

「おう、俺や。お前S大学に入学したらしいな。」

「あそこの剣道部の先生な。わしの知り合いや。」

「ほんで今日わしお前んとこ稽古行くからな、よろしく。」

え全然意味わからんねんけど…

聞き覚えのあるその声は、中学時代の鬼顧問でした。

どうやら僕の入った大学の先生とその鬼顧問は子弟関係にあるらしく。結局その場で「コイツをよろしく」と言われ、入部決定。

あんなにつらくて嫌だった剣道を再開。でも、なんだかんだやってみると、楽しかった。

好きなんですよね、剣道。

  • お金のためとかじゃなく、ただ純粋に「勝ちたい」って思ってチームメイトと努力すること
  • バカみたいに自分を追い込んで練習すること
  • すぐ脱ぎたがるバカなメンバー
  • 一生懸命努力して、試合で結果を残せたこと

とんでもなく強いチームに勝てた時は死ぬほどうれしくて。結局大学4年間も剣道の想い出しかありません。(;^ω^)

就職、そして激務の商社へ

大学を卒業し、とある商社へ入社。商社に決めた理由は、特にありません。基本、無関心です。剣道以外は。ただ、なんとなく給料よさそう、海外出張とか行けそう。こんな理由で。

でも、入ってすぐに後悔の日々でした。

  • 寝ても覚めても酒、酒、酒。飲み会三昧の毎日
  • 残業時間月100時間も何のその
  • 休日出勤・残業代ゼロは当たり前

ある日の帰り道、

「このまま線路に落ちたら楽になるかも…」

なんて思ったこともありました。それぐらい追いつめられて。まぁもちろんネズミの糞みたいな僕にはそんな勇気などないのですが。

そして僕の人生は次のステージへ。

僕の人生を変えた「家族」という存在

そんな激務の商社時代を乗り越え、気付けば僕も入社から丸3年。当時付き合っていた彼女との結婚を決めました。

当時24歳で上海に駐在していた僕。そして、日本にいる妻(当時は彼女)から突然の妊娠の報告。しばらく駐在が続くこともあり、色々悩みました。僕も嫁も少しパニックに。

でも、3日したら落ち着いてました。

「俺らの子どもが産まれる!!」

気付けば、アホみたいにテンション上がってましたね。産まれる頃には僕も日本に帰っていることが決まっていたし。

そして25歳の春。無事長女が誕生。ここから立て続けに人生のビッグイベントが続きます。

義母が脳出血で倒れる

長女の誕生の直前、突然義父から僕にかかってきた電話。聞けば、お義母さんが仕事中に倒れ、介護が必要になったと。

  • 介護なんてしたこともない。
  • 何をどうすればいいのかわからない。
  • しかもまだ娘が産まれたてで、自分たちだけでもあっぷあっぷ。

僕も嫁もパニックになりました。何をどうしたらいいんだろう。。。

ケアマネージャーとの相談や、仕事のこと、家のことなどは、ほとんどお義父さんがやってくれました。

しかし、今後のことを考えると、僕らも色々生活を変えていかなければならない。小さい子どもを抱えた僕らは悩みに悩みに悩みに悩みました。

そして、2人目の妊娠が発覚

「短い期間でどんどん産んで、スパッと育てる方がええで」

そんなアドバイスをどこかで聞いていたこともあり、

僕も嫁もさっさと2人目がほしかった。そしたら、思いのほかすぐできました。

  • 24歳⇒結婚
  • 25歳⇒長女誕生
  • 26歳⇒親が要介護に
  • 27歳⇒次女誕生

同じような1年なんて1回もない。そして僕は、いつしかこう思うようになりました。

「もはや自分の人生は、自分だけの人生ではない。」

と。いや大げさかもしれんけど笑

  • 毎日アホなことしてた小学生時代
  • 剣道しかしてなかった中学生時代
  • 無気力でひねくれていた高校生時代
  • 全国大会目指して燃えた大学時代
  • 激務に耐えていた若手社員時代

気付けば27年間、いろんな経験をしてきました。でも、今と圧倒的に違うこと。それは、責任

自分以外の誰かを守らないといけないという、単純な責任です。もはや自分の人生は自分だけのものではありません。

結婚した以上、嫁を守る。産んだ以上、子どもを育てる。家族になった以上、親も看る。

それを、「人生のしがらみ」という人もいます。

正直、僕も時々思います。独身で自由だった頃は、こんなに人のことを気にかけたことはなかった。

 

でも、今は違う。僕には守らなければならない存在ができました。

「今日僕が死んでも誰も困らない」そんな人生ではなくなりました。

だから、生き方を考えなきゃならない。

まずは、働き方を変えなきゃならない。

長くなりましたが、僕がこのブログを始めた理由はこれです。

 

改めて気付かされた家族の大切さ。僕が目指すべきは出世じゃなく、家族を守ること。

そのためには仕事はさっさと終わらせて早く帰る。土日は家族と本気で向き合う。仕事も育児も介護も、本気でやってやる。

そして、同じように仕事と子育てで悩む人に、少しでも役に立てる情報をお伝えできれば幸い。

 

そんな僕の魂を込めたブログです。

 

ここまで長文にお付き合い頂きありがとうございました。

くそみたいなブログですが、引き続きどうぞよろしくお願いします。