筆者のプロフィール

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はじめまして、おっくんと申します。

この度は当ブログにお越しいただきありがとうございます。

 

僕がこのブログを書くようになったきっかけや、ブログを書く理由などを、僕の人生を振り返りながらお伝えしていきます。

 

なお、このブログでは主に、共働き家庭におけるパパ・ママの働きやすさを追求する内容を発信しています。

 

おっくん
仕事も大事だけど、家族も大事。じゃあどうやって両立しようか?

 

それを色々な角度から解決していく。

そんなメッセージです。

どぞよろしく。

 

簡単な自己紹介

 

筆者のプロフィール

【名前】おっくん

【年齢】1989年生まれ。28歳

【出身】大阪市の南側。もと近鉄電車ヘビーユーザー。

【居住】大阪⇒北京⇒大阪⇒東京⇒上海⇒東京⇒大阪(2018年現在)

【性格】脳みそ筋肉タイプ。考えるよりまず体当たり。

【職歴】新卒採用担当を2年⇒上海駐在1年⇒経営企画室⇒人事(現在)

【趣味】

  1. 剣道…5段取得目指して頑張ってます。
  2. バイク…一番の想い出は嫁と結婚する前に行った四国一周旅行。
  3. 子どもと遊ぶ…2人の娘たちの良いオモチャです。

【目標】後悔なく死ぬこと。

【映画】レナードの朝

【お笑い】かまいたち

 

生い立ち

生い立ちを振り返っていきます。

 

①誕生~小学校入学

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小さい頃は兄のおもちゃでした。

2歳離れた兄がいるのですが、ヤツは超悪ガキ。

 

デカい段ボールに閉じ込められたり、鼻に割りばしツッコまれてグリグリされたり…。

でも、そんな兄を慕っていつも後ろにくっついている僕。そんな男2人兄弟です。

 

②小学校入学~卒業

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気付けば、学年一のデブになってました。

小学校に入ったあたりから体重がぐんぐん増加し、6年生の時点で70キロを超えていましたね。

 

原因はおじいちゃんに死ぬほど甘やかされたこと。

物心ついた頃、父はメーカーで激務をこなし、母は週に2~3回のパートでした。

 

誰もいない家にいるのが嫌で、よく隣に住んでたじいちゃんの家に遊びに行ってたんですね。

じいちゃんはよく遊びにくる孫がかわいくて仕方なかった様子で、いつも僕にお菓子を与えてくれました。

 

おかげさまで学年一のデブにヽ(´エ`)ノ

 

  • 気を付けの姿勢で自分のちんちんが見えない
  • 体重測定の度に上がるクラスメイトの歓声と悲鳴
  • あだ名は「ぶーちゃん」
  • 体育座りがキツイ
  • 組体操は言うまでもなく最下段
  • トイレに入ると便座がきしむ
  • 地域の相撲大会には先生が勝手にノミネート

 

とにかく、おデブでした。 

 

③剣道に出会った中学時代

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中学入学当初、僕は部活を決めかねていました。

 

おっくん
野球部やサッカー部はレギュラー取れなさそうだし、でもスポーツ系がいいし・・・

 

おっくん
どうせなら、あまり部員のいない部活でさっさとレギュラー目指そう!

 

という謎の理由から、剣道部に入部。

 

この時の選択を、あとで後悔することになります。

 

そして入部初日から地獄の練習の日々が続きました。

 

  • 10キロラン
  • 素振り2,000本
  • 動けなくなるまで足さばき
  • うさぎ跳び素振り200本
  • 途中で倒れても水をかけられる
  • プラス顧問からの殴る・蹴る・罵倒・無視…
  • 練習中に水を飲むと怒られるので、トイレで隠れて水を飲む。

 

これを毎日。

入部当初17人いた同級生は、最初の夏休みまでに5人になっていました。

余談ですが、ここで15キロ落ちてガリガリになりました。

 

今思い出しただけでも背中が寒くなる…。

顧問の顔を見るたびに血の気が引いていく毎日。

 

でも、得たものもたくさんあります。

まずは強靭な体力と精神力。そして、何よりあの地獄を共に経験した仲間たち。

 

あの3年間を共にしたチームメイトとは、いまだに本気の友人です。

今の僕の根幹を作ってくれたのは、あの時の鬼顧問と剣道と言っても過言ではありません。

 

それぐらい、中学3年間の剣道は濃い~~ものでした。

 

④高校入学~無気力で怠惰な日々を送る

IMG_1786そんな地獄の日々も終わり、僕も高校生に。

みんなみたいに彼女作って、授業サボって、適度に勉強して適度に遊ぶ。

 

そんな楽しい高校生活を夢見ていました。

 

しかし、挫折。

 

挫折というと大げさですが、何一つ楽しくなかったんですね。

何より、クラスメイトと話が合わなかった。

 

僕自身が歪んでいたのか、クラスの人間がみんな演技で笑っているように見えました。

しまいには、愛想笑いに疲れてしまい、結構ネクラな3年間を過ごしましたね。

 

あ、あと一応剣道部には属していました。

でも中学で燃え尽きたというか、あまり練習したくなかったのでそれほど打ち込んでいません。

ただ、なんとなく3年間在籍していたような感じ。

 

⑤大学入学。また本気で剣道をすることに

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大学入学後も無気力だった僕は、部活もサークルも何も決めず、ぼんやり入学初日を迎えました。

別に剣道なんかやるつもりはなかったんですが、色々あって結局、体育会の剣道部に入部。

 

なんだかんだで、好きなんですよね。剣道。

 

  • バカみたいに自分を追い込んで練習すること
  • すぐ脱ぎたがるバカなメンバー
  • 一生懸命努力して、試合で結果を残せたこと

 

強いチームに勝てた時は死ぬほどうれしくて。

結局大学4年間も剣道の想い出しかありません。

 

⑥就職、そして激務の商社へ

大学を卒業し、とある商社へ入社。

商社に決めた理由は、特にありません。

 

おっくん
なんとなく給料よさそうだし、海外出張とか行けそう。

 

こんな理由です。

 

でも、入ってすぐに後悔の日々でした。

 

  • 寝ても覚めても酒、酒、酒。飲み会三昧の毎日
  • 残業時間月100時間も何のその
  • 休日出勤・残業代ゼロは当たり前

 

もともと学生時代から起業や独立に興味のあった僕でしたが、

この会社に入ってより強く独立を意識するようになりました。

 

おっくん
20代のうちに絶対独立して成功してやる。

 

と、心に決めたのもこのころだったかと思います。

結局、この会社には6年半お世話になることになりました。

 

⑦25歳、最強の嫁をGETする

 

あんたは私の言う通り生きればいいから。

 

どうでしょう、この『人生の全てを握られたような』快感。(筆者はMではありません)

僕は25歳にして、最高で最強の嫁をGETすることができました。

 

僕は基本、人に何かを決められることが大嫌いです。

ですが、嫁の言うことはいつも間違いないので、常に嫁に従うようにしています。

 

要は、尻に敷かれてるってことです。

 

頭がよく、機転が利き、慎重かつ時に大胆で、自分以外の人間全てを見下している。

そんな、僕の持たないものを全て持った素敵な奥さん。

 

これからもついていきます。

 

⑧26歳、第一子をもうける

そんな我が家に、待望の第一子が産まれたのは2015年3月のこと。

名を「はー」と言います。

 

はー
あのなー、そのなー、あのなー、でもなー。

 

と、なんぞ子どもが一生懸命言い訳しているような話し方が特徴の女の子。

3歳を目前にして超絶おしゃべりに成長しています。

 

この子を初めて抱っこした時、昔読んだ世紀末リーダー伝たけしの父ちゃんが言ってたセリフを思い出しました。

「この子のためなら平気で人も殺せるだろう」的な。

 

うーむ。深いね。

 

 

⑨27歳、義母の介護スタート

長女の誕生でてんやわんやの日々を送っていた頃、義母が脳出血で倒れます。

なんでも仕事中に突然倒れ、救急搬送された、とのこと。

 

なんとか一命をとりとめましたが、そこから寝たきりの状態になりました。

最初は、何度も東京から嫁の実家の岡山へ帰っていましたが、今ではだいぶ落ち着きました。

 

そして僕は、この頃から強烈に家族を持って生きるとはどういうことか?を意識するようになります。

つまり、家庭をもつと、独身時代のように好き勝手生きることはできなくなるんですよね。

 

  • 嫁には仕事がある。
  • 子どもの生活がある。
  • 親の面倒も見る必要がある。

 

家族が増えるのは、楽しいことです。

ですがその分、悪い言い方をすれば『しがらみ』が増えるのもまた事実。

 

会社に入社した頃に燃えていた『起業』『独立』への闘志が、また燃えてきたのです。

 

⑩27歳、第二子をもうける

とかなんとか言ってるうちに2人目が爆誕しました。笑

名を、「なっち」と言います。

 

なっち
あー。

 

つい3年前まで独身だったのに、気づけば4人家族になっていました。

繰り返しになりますが、人が多いのは楽しいものです。

 

次女はまだ1歳半ですが、ものすごいスピードでいろんなものを吸収しています。

子育ては大変ですが、どんなに疲れた1日でも、彼女らの寝顔を見れば僕は明日も生きられます。

 

たった1日の子育てでさえ、そのストレスが温厚な僕を鬼に変態させる

2017.10.30

 

⑪28歳、無職になる

新卒から勤めた会社でのキャリアも6年を過ぎ、そろそろ人生のことを本気で考えるようになりました。

まず行ったのが、転職活動。

 

正直、まだ「コレがやりたい!」ということがなかった僕は、とりあえずエージェントに会いまくって話を聞くことからはじめました。

 

営業、事務、経理、コンサル、人材・・・

様々な仕事を紹介される中、特にビビッとくる仕事が見つからずモヤモヤしていた頃、

 

突然、エンジニアという選択肢を知ります。

 

  • エンジニアになれば将来食いっぱぐれることはない。
  • エンジニア(特にフリー)になれば、リモートなど自由な働き方も可能。
  • 今日本では人手不足で、未経験からでもエンジニアになれる。

 

おっくん
これだ!!

 

お金と時間に左右されない生き方を模索していた僕。

そんな僕が漠然と抱えていた将来への不安。

 

そんな不安要素を全て払拭する職業。

それがエンジニアだったのです。

 

これと決めてからの僕の動くは、もう全盛期のボルトのように素早いものでした。

すぐに上司に退職の意志を告げ、1ヶ月後には退職。

 

まず無職になり、3ヶ月間プログラミングの勉強漬けの生活を送ったのです。

大企業を退職して無職になったけど、僕が1ミリも後悔してない3つの理由

2018.01.22

 

⑫エンジニアとしてのキャリアがスタート

勉強の成果もあり、現在は大阪のある会社で派遣社員として働いています。

目指すべきは、早く技術を身に着け、フリーのエンジニアになること。

 

目標は、好きな人、好きな仕事を選べるだけの強いスキルを身につけること。

今でも、エンジニアへの転職を試みたことは、一切後悔していません。

 

【最後に】僕がブログを書く意味

 

おっくん
共働きで頑張っている人は、もっと幸せになるべきだ。

 

ブログは、自分の持つ情報や意見を、とても気軽に発信できる媒体です。

そんなブログを通じて、自分の経験や知識を、少しでも人に伝えたいと思っています。

 

僕は今、共働き夫婦がもっと幸せになる方法を常に模索しています。

正直、共働きフルタイムで年子の子育てをするのは、いばらの道です。

 

毎日疲弊しながら日々を送っている人も多いことでしょう。

 

だけど、頑張ることだけが全てではありません。

生き方、働き方、考え方を少し変えるだけで、共働きだって、もっともっと幸せになれるはず。

同じように悩んでいる人へ向けて、少しでも僕の発信する情報が役にたてばと思っています。

 

長くなりましたが、以上が自己紹介でした。

よろしくおねがいします。